昭和40年07月19日 朝の御理解



 今年は満三年、穂に穂が咲いて、そんなやろうとうたの文句がありますよね、今年は、満三年穂に穂が咲いてと、難はみかげと、いうように教えておられますから、例えば、難儀なことがありましても、それが、おかげの基になる。そのことによって色々勉強が出来、そのことによって力を得る、そのことによっておかげを受けるということ。まあそうして行かなければならんのですけれども。
 やはり、難は難で終わっていく人も沢山あります。難をみかげにしていくのが御道の信心ですけれども、その、難をみかげにしていくということだけではなくてです。もうおかげをおかげにして行く。んなら、穂に穂が咲くようなおかげと。頂いたおかげを難儀な基にしよる。難儀はまた次のおかげの基にして行くと。そこがです、私は本当じゃなあと。もう十年も前の話ですけれども、もう息子さんが、胸の病気で、非常にそれがたちの悪い、胸の病気であった。
 いわゆる悪質であったと。大変心配してま一生懸命親御さんたち信心させてもろうて、本人もお参りしてきておる。段々おかげを頂いてから、医者もたまがるようにおかげ頂いて、健康のおかげを頂いてから、ところがなかなかその元気のある息子さんで、頑丈な息子でしたが、今の良くない友達と友達が出来てその、良くない友達と悪いことをしとる、警察のご厄介にならなければならないような悪いことをしておる。
 その時にです、そこのお母さんが、ここへ参ってきてから言うたことが「あん時に、神様にご無理を言うてお願いせねば、よございました」ち言うて「こげないわば、破廉恥な罪を犯して」ち、言うてですたいね「こげな、おかげを落とすごつあんなら」です「ほんにあん時死んでくれてた方が親孝行でございました」って言う。それこそ、「どうぞ、どうぞ」とこう言うてお願いした。助けて下さいと言うて願うた。
 一生懸命お参りもさして頂いた。親も子もそのことで、一生懸命おかげを頂かせてもろうて、おかげを頂いた暁に。勿論それっきり息子は参ってこんようになった。両親も勿論、全然信心がないほどに現在はなっておられますけれども、理由にならんでしょう、難がみかげじゃないでしょう。おかげは返って難儀の基、これはね非常に極端な、事実こうしたおかげを受けて、事実そういうおかげを落とした人の話しなんですけれども、それに似たり寄ったりなことは、私共の上には沢山あるように思うですね。
 まあ、それはそんなになんで、いわば、大して悪いあれじゃないですけれど。あのそのいうなら、中村さんとこの養子ですたい。ね、清さんが失職した。ねえ、もうどうにもと、いうようなことを言いよった。ほいでもうそれがほんとにもう、毎朝毎朝の御祈念にお参りさせて頂いて、あん時は丁度北野の秋山さんも失職しちょった。それこそ二人がもうそれこそ、一生懸命にその御祈念にお参りさして頂いて、二人とも神ながらに、就職のおかげを頂いた。
 あれほど熱心にお参りしよった清さんが、すぽっとやめてしもうた訳じゃないけれども、甘えの普請ぐらいにしか、お参りがでけんごつなっとる。ね、別に信心辞めたわけじゃない。お母さん達が毎日参るとを、とやこういうわけじゃない。それでもこれはです、頂いたおかげが難儀の元になってこそ居らんけれどもです。これは、つまらんですよ、皆さん。これでは穂に穂が咲くようなおかげにゃならんですよ。
 就職のおかげを頂いたその就職が愈々です、おかげげを頂いて有難しと言うよりです。もっともっと穂に穂が咲くようなおかげを頂くためにはそんなこっちゃいかんです。ね、たまたま御参りしてきたから「あらようお参りしてきたね」て言ったらはあちょっとこっちの方の運転手をしてますから、ちょっと吉井の方までお客さん送って来ましたきん、ちょっと横を通るからお参りすると言った様な程度になってしもうとる。
 これでは、おかげは頂かれんでしょう。なるほど、お母さんこうして一生懸命信心しよるから、ね、お母さんの徳でおかげを頂くに致しましても、それでは、自分のものにはならんのです。もし今度は、それが難儀になった場合にです、やはり難は難です。ね、それをいわば、その、そういうような程度のことなら、私共の上にも随分ありはせんかということなのです。極端な例を私は先ほど申しました。
 「ほんとに、あん時神様にご無理言うて、助けてもらわんほうが良かった」とこう言う。いわば、「あん時に死んでおってくれたら、こういうような恥ずかしい罪を犯さんで済んだだろうもん」ち、いうて、神様に助けてもろうたことを、不足言うようなことになってくる。も一つ、おかげを頂く姿勢というものは、本当のおかげ、すっきりしたおかげ、いわゆる、おかげがいよいよおかげになっていく。
 おかげにこげな花が咲いてまた花が咲いて、おかげがおかげになって行く様なおかげ、頂かしてもらうために。どういう信心させてもらったらよいか。勿論今の例えば、例を持って言うならですたい。おかげを頂いて繁盛しだした。繁盛しだしたらもうこの様に忙しゅうして、お参りしようと思いよりますばってん、御参りできまっせんというごたる信心ではです、おかげにゃならんという事。忙しけりゃ忙しいでです。
 暇があるほど、おかげを受けておるなら、おかげを受けて居るというほどにです、ね、そうでしょうが。「商売が繁盛いたしません、どうぞ繁盛いたしますように。」と、繁盛するようになったら、信心も雨宿りのごつなっておる。ね、お参りしてくるじゃない、信心の稽古。信心がそれでは、成長が止まってしまうもん。ね、私がいつもその例を、上げてお話をしますように、ある、とらみずの教会の呉服屋さん。日に何べんとはなしに、教会にお参りされる。
 そすと息子さんがお父さんに言われた。「お父さん貴方のようにもう、金光さん参りにかかっておられてから」ね、家の仕事が、いわば出来ませんと。「どうですか、日に一遍、お日参りぐらいにしてちゃどうですか」。「そりばってん、お参りをさしてもらって帰ってくると、お客さんが一杯。また、おかげ頂いたとまた、お礼参りせにゃおられん」と。「お礼参りして帰ってくるとまた、どこそこから集金がはいっとる。
 これじゃ御参りさせてもらわにゃおられん」と。こういう生き方なら、おかげにおかげですもんなあ。どうですか。一生懸命お参りさせて頂よった。商売繁盛するようになった。おかげを頂いてお参りしなかった、いわば掛けになった、集金が入らなかった。だから、またお願いに参らんならんといったような信心、おかげよりも、どうです。おかげで繁盛のおかげ頂きましたけれども、どんどん売れましたけれども、ね、
 それが引っ掛ってから、帰って来ませんちいうならどうなりますか。またその事の為のお願い、その事の為の修行さしてもろうて、どうぞ集金のおかげを頂きますようにということにならなきゃいけないでしょうが。これ如何ばかりね、ほんとにこう結構な就職のおかげを頂いて、こういう繁盛のおかげを頂いて、それこそお参りする時間がないごとおかげを頂いておるから、尚更お礼参りでもさして頂くという信心から、私は穂に穂が咲くようなおかげになってくると、こう思うのです。
 息子さんが言われた。「なるほどそうですな」と。店のほうに「あれば頼んできて下さい、お父さん」ということがない。お礼参りにかかっとるだけ。そういうような信心があります。それと少し、意味は違うけれども、いよいよそういう意味での信心がです。(けんじけんこつのために?)私は今日こんなお知らせを頂いた。さんずい辺に干すという字を書いたら、何ていう字になりますかね。さんずい辺に干す。
 汗という字になるでしょうが。次にさんずい辺にですね、たすの字を頂いた、プラスという字を、さんずい辺にプラス、これはなんと言う字になりますか。汁。ね。こういう信心させていただきゃ、ずうっとおかげです。ね。いわば、穂に穂が咲いてというようなおかげになってくるです。そういうおかげを頂いてです、ね、お礼参りから、お礼参り、お礼参りから、お礼参りという。ね。
 、どんどんどんどん、穂に穂が咲いてですから、おかげになって行くです。段々おかげが大きくなっていくです、間違いなしに。そん為には一遍ですね、干さないけんです。さんずいをお恵みと、お恵みとは干してしまわにゃいかんです。本気で汗を出してしまわにゃいかんです。ね、さんずいにプラスという字ですから、おかげが私、今日それで朝のご理解いただきよるです。
 ははぁ、おかげにゃおかげ、おかげにプラスするということ、さんずいのお恵みにまたプラスするといったようなおかげを頂くためには、さんずいに干すという字になってこなければいけないと。一汗もふた汗もかかせて頂いて、ね、油ビンのちょろっとばかり、油の十分の一ばっかり入っておっとのですたい、ね、ほんなら九合の酒を入れましても、もうその酒は酒ではありませんです。飲まれる酒ではありません。
 醤油がはいっとったビンなら濯ぎもせんならん。お酒を入れたらそりゃ全部出しているようであっても、ただ濯がなかっただけでも、もうその酒は醤油くさくて飲まれんです。ね、受け物自体がですすっきりしとらにゃ、ね、そのまますっきり全部汗を噴き出してしもうてから、しかもその上に生醤油そしてころがせて頂く所のおかげなら、すっきりしたおかげになると。それこそおかげにゃおかげがプラスして行く様な。ね、
 そうです。神様のお恵みといやあとしずく、神様の下さる一滴とは、大変なことでしょう。ね、お恵み一滴というたら、大変なことでしょう。ね、そういうおかげ頂くためにです、そのことは、まだ私はヒントだけであってから、まだどう言う様な事かという事は、まだお話してません。ですから先ほどから、私が申しておりましたように、ほんとにおかげを頂いて、ね。
 お礼参りにかかっているようなおかげを頂かせてもらう、ならばもう間違いなしに穂に穂が咲くようなおかげになると。おかげを頂いた。あのことを頂いてからもう、何か忙しゅうしてから、次には今度集金が寄りまっせん、お恵みくださらにゃ。例えていうならばです。それでは、本当のことではないです。ね、じゃあそういうところがすっきり自分のものになる為にです。
 そういう信心がいよいよ自分のものになる為に、私はさんずいに干すというおかげを頂き、次にさんずいにプラスという、滴というか汁というか。のおかげを頂くようなおかげになってこなければならない。どうぞそのことを皆さん、もう一遍よくよく考えてみて下さい。汁という字と、汗という字をようく考えさせて頂いて、ね。
   おかげを受けにゃいけませんです。